自己肯定より自己批判(6)主義による閉塞

将来と内面に目を向けないでよいのか

これは文化の違いだからこのままでよいとしてよいのかと考えてみる必要があります。外的統制と、内輪のグループの理想に合わせて自己批判をする習慣は、集団における所属の良さを伸ばすかもしれませんが、内面の良さを掘り出し伸展させることに歯止めをかけるブレーキにもなっています。国力として日本の持つ潜在性が伸びていくには、この習慣や慣例から抜け出ないといけないのではないでしょうか。

こうした心の傾向の背後には、この後焦点を当てていきますが、集団主義の他に、日本に特に強く見られるいくつかの主義・傾向・世界観があると考えられます。そうするとここで話していることは、例えば集団主義を乗り越えるという意味?「そんなことできるわけない!」と考えるかもしれません。

前に書いたように、わたしはいわゆる個人主義がよいとは思っていません。今書いているのは日本文化の持つ特徴や閉塞に関わる難点についてであり、例えば西洋に見られる個人主義には個人主義の、閉塞をもたらしている構造があります。これについては後述します。それはそれで真似をしたくないと思うものに違いありません。

しかし自分自身の成長に歯止めをかけている姿は、もったいないと思う人も少なくはないでしょう。こうした「主義」の難点を克服することは可能か?ーーもし可能でないなら、閉塞から出る道を見出すことも難しいことになります。

「主義」や「世界観」とは文化が伝承している体質のようなものであり、習慣的な優先順位やものの見方の土台となっているものですが、人の本質は、地域のゆりかごが育むそうした枠組みに限定されるものなのでしょうか。人は前の世代が作り出した「主義」よりも深い存在ではないでしょうか。

しかしながら、「主義」とそれがもたらす閉塞を超える深さとは何かについて触れるためには、まだいくつかの事実を、順を追って見ていく必要があります。