これまで、2018年内閣府の若人の国際比較から目立っているものにフォーカスし、関連研究によりわかっていることをレビューしてきました。これまで書いてきた特徴が日本人に見られることについて、言葉は違っていても、あちこちでよく耳にすることがあると思います。実際に、「将来への希望が弱い」ことについて関連する文献を探究していくと浮かび上がってくる概念に、この内閣府調査に出てきて上にまとめた4つの特徴は含まれています。そして、ここに出てきた将来観、自己肯定感、内発的動機は、実は互いに無関係ではないことを、それらの先行研究が示唆しているのです。
これまでに浮かび上がった姿
データに顕著だったのは、希望、将来志向、自己肯定感、充実感などが弱いということです。そしてこれらをつなぐ重要な軸として、将来への希望的志向と内面の可能性を掘り起こそうとする姿勢が深く関連していることを見てきました。周囲への所属を優先する集団主義の姿勢においては現在志向や自己批判傾向を伴い、成長志向が弱く、主体性や使命感が薄いことから充実感も浅いこともわかりました。それは自己の内面にアイデンティティーを実感することが弱いということでもあります。そして集団所属優先の姿勢においては、一見矛盾するけれども、その内面に他者貢献のような性質が伸ばされずに眠っている可能性があることも見てきました。
アイデンティティーを自己の内部に求めず、集団所属に求めるとすれば、充実(fulfillment)は自己の内部にではなく、集団にもたらそうとしているということになるでしょう。会社第一の姿勢などがその例です。資源やエネルギーを、集団を満たし維持することに向けていると言ってもよいと思います。
しかし上にまとめた姿勢を俯瞰して見ると、それは集団を安定化させ、拠り所たるものにするなど資するかもしれませんが、個人としては空洞、もしくは自身の内にあるものを開拓しない、そういう意味では「外側で生きる」「周辺に生きる」状態になっているとも言えます。これが長期的に停滞や国力の衰退を生む重要な一因ではないのでしょうか。
宝がもし個人の内側に眠っており、それは世界のどこに生まれた人も同じであるとすると、それを掘削し、掘り出したその宝により周囲を益するという方法があるのでは?
そして人の内に潜在する将来と可能性の掘削の役割をするのが、まさに「希望」であることを、関連研究をひも解きながら次に見ていきたいと思います。