はじめに(2)日本人の性質

日本の若者は他国の若者に比べて、将来に対する希望が低いということが判明していますが、希望には経済や社会の状況の他に、個人の内発的な動機というものも重要であることがわかっています。[1]Wandeler, C. A. & Bundick, M. J. (2011). Hope and self-determination of young adults in the workplace. The Journal of Positive Psychology 6,341-354. ; Snyder, C.R. (2000). Genesis: Birth and … Continue reading つまり人に言われて何かをするのではなくて、自発的に行う姿勢です。そして自分で立てた目標を達成するために必要なことを自分はすることができるという自己効力感、信頼や支援のある他者との良好な関係などが将来への希望に関連していることが明らかになっています。

このように自発的に目標の実現に向かって伸展していく姿勢も、それを育む周囲の信頼も、日本では十分ではありません。それは一つには、内輪のグループ(会社、友達など)への所属感、集団としてのアイデンティティー、気心しれた心のつながりに生きる傾向を持つために、自身の内なる目的に向かう姿勢が育ちにくいということがあるからです。また互いを拘束する無意識の義理のしがらみがあったり、出る釘は打たれたりという、集団主義の負の側面があり、個人が自分の内なる目標に向かうには向かい風の吹く社会であるからです。

さて、ここまでを読むと、日本文化の批判がこのブログの主旨であるかのように聞こえるかもしれません。しかしそれがわたしの本意ではありません。日本人はモノを作る際の高い質を追求する性質と技量を持ち、落とし物を届けることや集団規律に見られるように社会的道徳性が高く、また武士道の精神に見られるように高貴な魂を持った国民であると思います。

文化や心理について学んできた結果、日本人はまだ顕れていない素晴らしい潜在的な特質を持っていること、しかし、その潜在性の発露を妨げている壁があることを感じるようになりました。不確実な状況にめげない希望を持つうえで重要な自発的な姿勢を育みにくくしている、上に書いたような性質もその一つです。わたしは自発性が弱いことが日本人としての特色だとは思いません。これは乗り越えるべき体質であると思います。

現状のありのままの姿をもって、これが日本人の姿だとして満足するのではなく、習慣や構造を乗り超えて、より良いものになろうとする努力を、どの国民もどの市民も選んで行けるのではないでしょうか。そしてこれは文化だけの話でもありません。

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参照

参照
1 Wandeler, C. A. & Bundick, M. J. (2011). Hope and self-determination of young adults in the workplace. The Journal of Positive Psychology 6,
341-354. ; Snyder, C.R. (2000). Genesis: Birth and growth of hope. In C.R. Snyder (Ed.), Handbook of hope: Theory, measures, and applications(pp.25–57). San Diego, CA: Academic Press.